ワールドワイドライブツアー パフォーマンス
music & world wide live tour

2008年につづき2009年、タイランド北部メーホンソンPAIにて行われたPAIレゲエフェスティバル(NO WAR MAKE LOVE)に日本代表として招待出演する。
タイルーツレゲエNo.1バンド・JOB2DOのタイ全国ツアーに参加し、前座で歌い、バンドではパーカッションを務め、タイ全国30か所以上の地域・島々でライブツアーをした。
リーダーのJOBとCOCOTABOは同じ年齢。ポジティブで質素で慎ましい生き方を実践している日本とタイのラスタマンが、双方の国の抱えている問題意識を語り合い、私達の惑星の未来のため、新たなるメッセージを歌に変え世界に発信しつづけている。
タイ南部ナコンシー・カノムの大自然のなか、素晴らしいレコーディングを終えて帰国。現在ニューアルバムのを完成させ、全国ツアー中!

PAIレゲエフェスティバル での WAKE UP LION を視聴する

2010/08/27

COCOTABOです!98年未熟な理解のままであったRastaを学ぶためジャマイカへ飛んだ!キングストン空港でRastaウーマンに出会いMutaBaIukaのブックショップに着いたがMutaは南米ツアーに出発していた。ショップの前にアイタルフードの屋台がありそこでJahMaisonと言う若いRastaレゲェシンガーに出会いキングストンのBobMarleyタフゴングスタジオのバックヤードに住むBobの先輩友人であるRastaの長老エルダー・ギャビーに紹介され橋渡ししてくれた!2週間程であったがエルダーギャービーの元で多くを学び大変にお世話になったのちハーブDrはじめ多くのRastaに出会い学びキングストンからモンティゴベイの海・ネグリルの山々をヒッチハイクの旅をして多くのRastamanに出会いお世話になり多くの事を学んだあの素晴らしい体験の時からBobMarleyのメッセージを心に刻み大自然や人を敬い感謝の心を持ち質素に平和に生きる事、ポジティブでアイリーなバイブスで生きてゆく事の大切さを自身が学び実践して行こうと心に誓った!この星の未来を明るく希望に満ち溢れている世界にしていくための大きな1つの地球家族の1人として学びながら歌う旅を始めてこの22年間、琉球ネシアからアイヌモシリの日本全国やタイやインド・ネパール台湾インドネシア・ジャマイカ・オーストラリアタスマニアでの歌う旅で出逢い、お世話になった世界中の仲間友人ファンの方々!また、沖縄や飛騨高山や四国徳島高松高知や鎌倉やタイムーンビレッジなどで私のもう1つの仕事である竈〔かまど〕作りワークショップを各地域で受け入れ主催してくださり一緒に数日間に及ぶハードな作業の赤土粘土を叩き、こねて団子にし川の石と赤土粘土で竈を作り薪で火を入れ米を炊き食らうあの米の味の旨さ!ワークショップを通じて1つの目的を共に汗を流し達成した時の純粋に流したみんなの美しい涙は今も忘れないです!感動的な時間を分かち合った各地の多くの若い仲間の方々!全国各地ライブツアー先のお店やレゲェミュージックフェスや様々なメッセージのあるフェスのオーガナイザーの方々!そして沖縄やんぱるの我が家に縁あって旅の途中に宿泊滞在していただき一緒に汗流し築100年の沖縄赤瓦屋根古民家再生を手伝ってくれた各国各地の素晴らしい若い青年たち!いつもいつも温かい応援励ましのお手紙やメールありがとう!心より感謝しています!【2007年】はタイ北部メーホーソン・パイにてムーンビレッジ主催の日本タイ友好の祭りがあった、その4年前の〔2003年にネパール首都カトゥマンドゥとポカラレイクサイドにてネパールナマステバンド主催のシバラトリワールドミュージックフェスティバルに出演した〕あとタイに入りパイのムーンビレッジてに私は竃〔かまど〕作りワークショップを主催し日本やアメリカから来た旅の青年達に指導製作した縁もあり4年後の2007年にムーンビレッジ主催者から日本タイ友好の祭りの出演依頼があり私の誕生日でもある7月7日の祭りオープニング初日に出演した〔私がリスペクトし続けているタイのフリーダムファイター・カラワンバンドが出演し素晴らしいライブでした〕祭りとは別にパイの街のライブハウスやレゲェBarやチェンマイのレゲェエBarなど様々な場所でライブツアーしました。帰国後沖縄本島久米島石垣島宮古島徳之島奄美大島加計呂麻島の琉球ネシアツアーして東京千葉神奈川静岡愛知岐阜長野とツアーし羽田空港より那覇空港で乗り換え台湾台北に入り台湾No.1レゲェシンガーRedI〔レッドアイ〕と台東の先住民の人々が主催の〔2007年台東東海岸ミュージックフェスティバル〕に台湾政府から招待され出演〔PaPaUGeeも招待出演〕を果たした!フェス以外にも台東・台北のライブシーンでライブツアーをした!【2008年】はCOCOTABO歌う旅20周年7月7日で満50歳の記念すべき年の2月、タイの北部メーホーソンの山村パイの川辺りで行われた2日間で3万人以上のタイやヨーロッパ・アフリカの人々が集まるレゲエフェスティバルに日本代表として招待され現地パイ滞在のストリートレゲェミュージシャンで海外生活の長い友人のRastaフラの協力でタイ日本ドイツ人のバンド構成で出演を果たした!フラ・リスペクトありがとうフェスではお世話になりました!このレゲェフェスで毎年メインでとりをつとめるタイNo.1のルーツレゲエバンドでタイ南部トラング出身の★job2do〔ジョブトゥドゥ・YouTubejob2doをチェック〕のリーダー&ボーカルで私と同じ年のjobと出会い意気投合しソウルブラザーとなりタイ全国島々の浜辺のオープンエアライブやフェス、山々や街のフェスやライブシーン30ヵ所以上のツアーに参加し前座で歌いバンドではパーカッションをプレイし移動寝食を共にしタイの現状をこの目にした!それはそれは素晴らしいツアーでした!4月に帰国し沖縄本島を日切に久米島石垣小浜島宮古島東京千葉神奈川静岡愛知岐阜佐渡新潟長野再び愛知に戻りレゲエフェス出演後静岡神奈川東京とツアーを続け12月に沖縄に戻り、COCOTABO歌の旅20周年100ヵ所ツアーを果たした!【2009年】前年同様2月に前年と同様タイ北部メホーソンの山村パイの川辺りにて行われたレゲエフェスティバルに再び日本代表として招待されソロ出演を果たしメインでとりのタイNo.1ルーツレゲェバンドjob2do〔ジョブトゥドゥ〕のステージではパーカッションをプレイした!フェスの後には再びjob2doタイランド全国島々の浜辺のオープンエアライブやフェス、山や街の様々なフェスやライブシーンのツアーに参加し前座で歌いバンドではパーカッションをプレイしタイの島々南から北まで30ヵ所以上のツアーを寝食移動共にした前年同様それは未来は明るく希望に満ちている事を体感するほど素晴らしいツアーでした!この全てのツアーに2年連続同行し通訳兼写真映像ツアー風景にレコーディング風景を記録し移動時には楽器運びまでして頂いたランター島在住のRastaman増井Yon君には心より感謝とリスペクト!ツアーの合間には南部の田舎ナコンシーカノムの美しい海と山に囲まれたjobのホームでリラックス!同じくカノム在住job2doバンドでギター&ベーシストの青年Tiの家のヤードにあるレコーディング小屋にて私COCOTABOのアルバムを一緒に作ろうとJOB2DO&TAISAWAN〔art&Cultur&Seaジプーmusicのタイサワンバンド〕が友情参加してくれてシンプル&ナチュラル&ミラクル!なレコーディングを済ませタイにてニューアルバム【ONELOVECREATION・UNITE】CD&タイランドツアーDVDの仮仕上げを済ませ日本で完成させて全国ツアーするために5月初旬に帰国した【2009年5月中旬~2010年8月初旬】帰国後沖縄に戻る前に成田空港から静岡愛知岐阜東京とツアー予定で静岡島田でライブした翌日の6月7日愛知岡崎に向かう途中に交通事故に巻き込まれてしまった!6月6日友人と静岡島田のライブ終え島田に泊まり翌日7日島田から友人の車に同乗し愛知岡崎の友人スタジオに向かう途中の愛知県国道1号線上にて交通事故に巻き込まれた!〔友人運転の車に助手席同乗して交差点赤信号で私達の車は停車して信号待ちしていたその時!後方より突然!わき見運転の時速50㎞以上の年輩女性運転の乗用車に激突され事故に巻き込まれた!事故をおこした加害者女性はエアパックに守られ無事であったが被害者の私逹3名は激突された時の物凄く強い衝撃により負傷し救急車で病院に搬送された!レントゲン検査の設備しかない病院だったため翌日更に岡崎の市民病院にて診察を受けCTスキャンで検査した。私の症状は左足小指靭帯損傷・頭部頸椎腰椎臀部の全身打撲であった。岡崎静岡愛知岐阜東京の残りの予定していたツアーをキャンセルし数日岡崎友人のところで身体の様子を見たが日増しに身体に激痛が走り歩行も困難になってしまった、友人宅にて安静にしていたが沖縄に帰り治療をする決心をし友人の助けで愛知からなんとか東京の友人宅にたどり着き数日安静にして羽田から沖縄に戻り以前からライブが決まっていた沖縄久米島のライブだけはキャンセルして迷惑かけられない思いと今後ライブが出来るか身体の具合を確かめる必要を感じ腹を決めライブ中の激痛をこらえてプロ根性でなんとかこなしたがやはりライブ翌日身体の激痛は治まらず痛みは限界に達していた。久米島友人と那覇友人の助けでなんとか那覇に戻り整骨院に通院し始め那覇友人の介護や助けで数日後北部ヤンバルの自宅に戻り北部の病院・整骨院に通院を代えた。事故による負傷した身体は日増しに激痛に苦しまされ不眠の日々が続いた!予定していたニューアルバムの仕上げや全国ツアーやオリジナル楽器の製作や竃ワークショップの仕事を全てキャンセル断念し治療に専念すると決意!その日から友人の介護や助けで約1年1ヵ月余りの連日病院整骨院での長いながい治療リハビリ通院の日々が続いた、現在も身体のあちらこちらに後遺症が残り激痛の残る中、復活に向け自宅リハビリを続けています。全国の仲間や友人ファンの皆さんの励ましの言葉やメールを頂きありがとう!特に私の自宅にて滞在していただきながら数ヶ月もの間、食事作りや体のマッサージや身の回りのケアをして下さったミーちゃん本当にありがとうございました!感謝の気持ちでいっぱいです!そしてやはり私の家に滞在しながら私の復活を目指して前向きに立ち向かう心をあと押ししてくださり私の身の回りの整理をして頂き自身の仕事を削ってまで助けて頂きました松ちゃんには感謝の言葉しかありません!仏の心を持ったお二人は我が家にて私の身体が一番つらい時に本当に助けていただきました、お二人に敬いと感謝の気持ちでいっぱいです涙がとまりません心からありがとう。時間はかかっても復活して歌い続ける事が恩返しと毎日感謝を忘れずリハビリに取り組んでます!そしてタイや全国の皆さんからの手紙やメールなどの励ましや応援など支えがあったからこそ腐らず前向きに生きています。皆様には心から感謝しています!私に起きている全ての現象はなにかを学ばされているのです!生涯感謝と学びの心を忘れず生きてゆきます!【2010年現在】ヤーマン!COCOTABOライオンは立ち上がります!事故で1年以上未完成のままストップしていたニューアルバム・COCOTABO&JOB2DO&TAISAWANのタイレコーディング&ツアーDVDを友人で20年来の音楽仲間であるBomSiva南さんとアフリカギニア太鼓奏者AbunJahさんと私の体を治療して頂きながらアルバムに歌で参加までしてくれた若手RastaシンガーAliyさんに感謝とリスペクト!この三名のアルバム制作参加協力によりタイ日本アフリカ合作のインターナショナルな素晴らしいハーモニーが生まれニューアルバムCD13曲&DVD2009年タイライブツアーとレコーディング風景1時間20分のロングムービー【ONELOVE・CREATION/UNITE】が完成しました!目を覚ませライオン!自宅でリハビリを続けながら歌う事が身体のリハビリになると信じ事故以前と同じく激しく踊りながら歌うライブとはなりませんが歌声と熱いハートだけは変わってません!まだ身体にはハードなライブツアーを覚悟の上で全国の皆さんには移動時のご協力やライブセッティング等のご協力助けを頂きながらのツアーですがよろしくお願いいたします!大変お世話になった医師や整骨院の先生からも温泉治療リハビリは私の身体にはとても良い治療になると勧められ各地の温泉で治療しながらツアーを決行します!全国各地の皆さん良質な天然温泉案内して下さい!一緒に行きましょうよろしくお願いします!【2010年9月】COCOTABO歌って22年目、ニューアルバム引っ提げ復活目指して全国の温泉にてリハビリ治療&歌って身体と地球のリハビリツアー!沖縄ヤンバル我が家から出発しますので応援よろしくお願いいたします!

Bamboorimba - Rastaman Craft

私たち人類の起源は、アフリカ・エチオピアにあり多くの時間と旅のすえ、私達日本人は今日、アジア人として存在しています。
cocotaboハンドメイド・bamboorimbaは、そのルーツ、アフリカのカリンバが原型です。ボディにはインドネシアの瓢箪(イリアンジャヤのblackmanたちが、水タンクや食器として利用していたもの)を使用し、弦には、築100年以上の日本の古民家茅葺屋根を支えてきた囲炉裏・竈の煙りで煤った、煤竹を使用し制作しています。
太古の昔、地殻変動以前、アフリカ、インドネシア、オーストラリアはゴンドアナと言って、一つの大陸でした。
インドネシアの瓢箪は、アフリカの瓢箪(カラバシ)と同種類であり、それを使っているblackmanたちもまた、まさにルーツアフリカ人です。
縄文ルーツのアイヌの歌や、ラスタマンの祈りの歌、沖縄ヤンバルでの生活から生まれたオリジナルな歌をbamboorimbaに乗せて世界に伝えています。

NAKHON SI THAMMARAT での BAMBOOLIMBA 演奏を視聴する

Liveツアー活動をしながら’93年 愛知県足助の茅葺屋根の古民家(築120年)に辿り着き、田舎暮らしを始めた。
村の長老(最後の竈職人)から手解きをえて、普通なら10数名でやる作業(山の赤土、川の石を拾い、土を叩き、土団子にし、石を組んでいく)をひとりで全部こなした。
長老は弱った身体をおして、丁寧に見本をみせてくださった。
約2週間それはハードな作業であったが、確実に私はこの地球、大地の恵みを感じ、長老の寡黙ではあるが深い優しさに感動していた。
そして、最初の火入れのとき長老は、「人間は、火を焚くことを覚えた。
それが最初の文化だったのだ。火に感謝をする大切さ、毎日火を焚くまえ、火の神様に祈りを捧げなさい。」と私に伝えてくださった。
この最初の竈(愛知三河地方では、おくどさんと言う)のあと、東京恵比寿の「縄」に作り、飛騨高山や徳島、高知での竈ワークショップを開催し、好評を得ている。
また沖縄ヤンバルの自宅古民家でも、竈・囲炉裏、bamboorimba制作のワークショップを行っている。

四国でのかまどワークショップを視聴する

1987年東京にて、無国籍料理店をオーナー&シェフとして立ち上げる。
お客と店の垣根をとっぱらい、本音で話せる場所と季節を感じ本当に美味い身体にしみる世界中の料理を提供しつづけた。
そんな中、環境問題や人権問題、働かざる者食うべからずのシステムに疑問を抱き、自分自身から金のかからないゴミのでない生きる術を学び、実践していく田舎暮らしの大事さ、その生活や旅から生まれた数々の歌をレゲエミュージックに乗せて伝えていくことの素晴らしさを知った。
愛知県足助の山でのランプ・囲炉裏・竈の生活をへて、さらに大自然の厳しさが残る長野県大鹿村でランプ・囲炉裏での山の生活を数年間経験していたが、真冬はマイナス20度にもなり沢の水が凍り、冬を越せる環境でなかった。
やがて大鹿村を離れ、99年に沖縄本島、石垣島ツアーをしながら、半年をかえて沖縄本島内150ヶ所の空家を探し求め、ようやく北部ヤンバル西海岸の美しい海と山に囲まれた長寿の村に辿り着く。
毎年のように押し寄せる台風や長雨による風水災害にもめげず、ハードな家直しであったが、世界中の旅人やご縁のある人々に寝食をもてなし、若い青年と共に汗を流し、琉球赤瓦屋根の古民家を再生しつづけている。
文字通りCOCOTABOの生活自体が質素に生きる術を学ぶワークショップであり、多くの若者たちが逞しく育ち旅立っている。
(ONE LOVE CREATION ZION HOUSE)